2013/06/29

尾崎豊の死因

尾崎豊が死んだのを知ったのは、日曜の朝6時ごろに巣鴨駅のキオスクの前を通りかかった時だった。

私は当時サラリーマンであったが、給料が安くて浪費家だったので金に困っており、週末に日雇いのアルバイトをするようになった。

その日もアルバイトをするために早起きして巣鴨にある事務所に行ったのだが、事務所が閉まっていて、仕方なく家へ戻ろうとしたときだった。

キオスクの店頭にあったサンケイスポーツの大きな見出しに「尾崎」「怪死」という文字が見えた。

その新聞を買ったかどうかは覚えていない。当時はまだインターネットなどなく、携帯電話はあったかもしれないが私はもっておらず、ニュースといえばテレビ、新聞、ラジオで知るものだった。

私は尾崎豊が好きでよく聴いていたのだが、彼が死んだ頃には熱が冷めていて、ほとんど聴いていなかった。

1992年4月のことである。


その後、だんだん死んだ時の状況がわかってきて、死因は「肺水腫」だったということがわかった。

さらに、泥酔していて、全裸で民家の庭でのたうちまわっていたということだった。


そして、「致死量をはるかに超える覚せい剤が検出された」という情報を聞いて、私はやっぱり自殺か、と思った。


彼の死については他殺説などもあるらしいが、私は最初から今までずっと、自殺であろうと見ていた。

死から20年ほどたって、「遺書」なるものが公開されたが、あれはおそらくいつ死んでもいいように書かれたものであって、1992年4月25日に死ぬと決めて書いたものではないだろう。


「肺水腫」という死因にほとんど意味はない。問題はどうして肺水腫を引き起こすほどの泥酔状態と薬物の過剰摂取があって、全裸で転げまわるような状態になったのか、ということである。

ビルから飛び降りて死んだ人の死因が「脳挫傷」というのと同じようなものだ。



私は彼が自殺したと確信している。では、その理由は何か。

自殺の理由となるものには、生活苦、失恋、後追い、犯罪を犯した自責の念、などがあるが、彼の死の理由に具体的な理由はないと思う。


他殺説の根拠とされるあざだらけの写真があるが、あれは自分で転げまわって壁や地面にカラダを叩きつけたときにできたものだと思う。

遺作となった「放熱への証」は、気が抜けたというか、魂の抜け殻というか、まちがいなく尾崎豊がリリースしたアルバムの中で一番の駄作である。


自分でもその自覚はあったと思う。『俺にはこんなものしか創れないのか』という愕然とした思いがあったのではないだろうか。

それも死に駆り立てたひとつの理由かもしれない。

でも、アーティストとして才能が枯渇したからといって死ぬことはない。

やはり、彼にはほとんど生まれもっての希死念慮というものがあった。

いつ死んでもおかしくない男だった。

いつでも死んでやる、と思って生きていた男だった。


その覚悟を表明したのが例の遺書であった。


そして、その生き方による当然の結末がおとずれたのが、1992年4月25日だった。



そういえば、自殺の動機としてあげられるものがもう一つある。

それは抗議とか、自分の信念を表明するとか、身の潔白を証明するなどである。


僧侶が焼身自殺したなどというのがそれである。

尾崎豊の死も、それに近いかもしれない。

2013/06/25

ホームラン級のバカ

「ホームラン級のバカ」という言葉はTBSテレビで放送されていた「ガチンコ!」という番組の中の、不良が大学受験に挑戦するという企画の中で、講師役である大和龍門がいった言葉である。

この言葉自体は非常に有名で、ちょっとした流行語になった。

だが、最近この言葉について調べてみたら、どうもこのフレーズを大和龍門が頻繁に使っていたかのように誤解されているようだが、このフレーズを使ったのは一度きりである。

私はガチンコを楽しみにして見ていたので間違いない。


さらに、この言葉は不良達全員に言われたのではなく、ある一人の生徒に向かって発せられた言葉である。

その生徒は、大学受験に挑戦するという企画に参加していながら、高校を卒業していないということが発覚した。その時に、その生徒にむかって、大和は「ホームラン級のバカだな」とあきれたのである。それが最初で最後である。


それから、「ガチンコ」という言葉を世間に広めたのもこの番組がきっかけではないだろうか。放送されたのは1999年から2003年。私はほとんど全部観ているが、番組放送当時は今ほど「ガチンコ」という言葉は使われていなかった。もともとの意味は格闘技で八百長ではない真剣勝負のことを言うだけだったが、その後、意味が拡大されていき、今では「マジ」と同じように、会話の中で「ガチで?」と、「それ本当?」というような意味で使われるまでになった。


2013/06/03

ブッダ

これもYahoo!ブックスで読んだ。

ときどきリーダーが落ちることがあってイライラする。
本のダウンロードもけっこう時間がかかる。

「ブッダ」を読むのは初めてである。

ブッダの伝記と言えるかもしれないが、彼を取り巻く大勢の人間のドラマが並行してあるいは交差して描かれる。

ブラック・ジャックよりは丁寧に描かれている。

フィクションが多少含まれているだろうが、おおむね史実に基づいているようである。


ブッダと言えば、「王子という身分を捨てて出家し苦行するが苦行では悟りを得られず菩提樹の下で瞑想して悟りを開いた」というような事が語られるが、本作品では悟りを開いた後の仏陀の人生が描かれている。


「仏教」が一大教団となって、教団を支配しようとするダイバダッタのような人物が現れたりする。


ブッダが悟ったことはどんなことだったのかは、いろんな人が語るのを聞いたことがあるが、私は誰の話を聞いてもピンとこない。執着を捨ててあるがままに生きる、無抵抗、非暴力、すべては無であるなどというのを聞いても、「そんな単純なことじゃないだろう」といつも思う。


2013/06/02

ブラック・ジャック

Yahoo!ブックスで無料配信していたので22巻を全部読んだ。

連載されていたのは私が小学生の頃で、読んだことはあった。

だがとくにおもしろいと思った記憶もない。


手塚治虫と言えば漫画家の中では神のような存在というイメージがあるが、今回ブラック・ジャックを全部読んでみて、意外に荒っぽいというか雑と言うか、荒唐無稽なところがあるのだなと感じた。

それは絵も、話もどちらもである。

読みきり形式なのだが話がプツんと突然終わってしまうようなものがけっこうある。


読んでいて、石森章太郎、松本零士、鳥山明などを思い出したのだが当然手塚が彼らに影響を与えたのだろう。