2012/02/12

How will I know?

今朝サンデージャポンを見ていた。2ちゃんねるで実況をしながら。すると、「ホイットニーヒューストンが死んだ」というレスがあった。最近は2ちゃんねるでこういうことがあったときはまずtwitterで検索する。本当だということがわかったときに、頭の中でHow will I know?が流れ、TVを消した。

How will I know? は思い出の曲である。高校2年生の時、初めて「デート」というようなことをした。二人で向かい合って座り、軽い食事をした。彼女は終始うつむきがちであった。確か、食事中にほとんど会話はなかった。彼女の白い透きとおるような顔に、みとれるというより、驚いていた。

彼女はハムだかなんだか忘れたが、肉を残した。私はそれを見て、「食べていい?」と断ってからそれを食べた。

私は何をしゃべればいいのか、どうすればいいのか、全くわからなかった。

その時に店で流れていたのが、How will I know? だった。

その曲は当時毎週見ていたベストヒットUSAなどでいやというほど聴いていた曲だったのだが、その時は新鮮に聴けて、いい曲だなと思うと同時になんだか悲しい気持ちになった。

彼女に何も言えない事、そして女の子と二人で食事をすることの空しさのようなもの、これからの進路のことなどを考えてしまう。


ホイットニーヒューストンという人は不思議な人だ。テレビで何度も姿を見ているのだが、どんな顔だったかが全く思い出せない。背の高いやせた黒人、というような印象しかない。

太宰治が人間失格で、主人公の顔がなんの印象も残さないということを冒頭に書いているが、それと似たような感覚だ。彼女はスタイルもいいし美しい女性である。だが、印象が残らない。透明というか、感覚で検知できる範囲外というような感じ。


彼女が薬物中毒になったという話はしばらく前からきいていたが、それもとても違和感があった。あの彼女が薬物に溺れるということが、これまた想像できなかった。自分で理解できる範囲を超えていた。


そういう透明感、この透明感というのはあまりいい意味で言うのではない、が、彼女を薬物に走らせたものなのではないだろうか。

彼女は自分で歌っていて、歌唱力を絶賛され、商業的にも成功して数々の賞もとったが、充実感というか、リスナーとの共感が得られないような空しさを感じていたのではないだろうか?

そんなことを思ったからか、彼女の死は単なる有名人の死とはとらえられず、とても悲しかった。