2011/05/20

プーシキン 「オネーギン」

久しぶりに本を読んだ。

始めて読んだのは高3のころ、もう20年以上前。
なんで読んだかというと、太宰が触れていたから。

プーシキンは「大尉の娘」がおもしろかったのを覚えている。
「オネーギン」の話の筋はよく覚えていなかったが、
「ふさぎの虫」というキーワードと、放蕩者であること、
楽しい話ではないことなどはおぼえていた。

プーシキンが20代の頃の作品である。

「斜陽」のような雰囲気を感じたがマネしたのは太宰のほうなのだろう。

「オネーギン」は韻文であるが、翻訳は散文で小説のように書かれている。
これを韻を踏んで書いたらいったいどうなるのか。
読んでみたいが、ロシア語じゃな・・・


2011/05/14

からっ風野郎



ついに見た。
これは三島の原作でもなければ脚本も書いてないし監督もしていない。ただの俳優である。
だからあまり期待していなかったのだがそれはいい意味で裏切られた。

三島はアタマがでかいだの上半身だけだのなんだのと言われていたが、やっぱり身体はたいしたもので、後姿などは絵になる。カツゼツが非常によくて、声も通って聞きやすい。目に光もある。

脇役の船越英二がかっこいい。日本人とは思えない。若尾文子もかわいい。
あとは喘息もちの殺し屋もいい味を出していた。

ロケ地はどこだろう?
ああいう時代もあったのだ。

ストーリーはけっこうピュアというか人情というか男気というかそういうものがあってちょっと感情移入した。
ラストは悲劇的になるだろうとは思ったが、不思議なシーンで、グロテスクですらある。

カタギになることを決めた主人公は子供の服を買ったあとで殺し屋に撃たれて、昇りエスカレーターに倒れる。
必死で降りようとするが力尽き、最後はエスカレーターの上に大の字に倒れて死ぬ・・・。

このシーンを撮影したときに三島はケガをしたそうだ。

憂国

30分。
俳優は2人のみ。何かしゃべるところがあるが、声は聞こえない。
三島自筆の文章が写され朗読される。

彼はこういうものを美だと思っていたのだろうか。
私には理解できない。

子供の頃、人が死ぬところや、自分が死ぬときを想像したことはあるが、
それの延長だろうか。

2011/05/08

突撃



キューブリックの初期の作品。
カーク・ダグラス主演。マイケルダグラスそっくりである。これがオヤジなのか、とわかった。
タイトルから勇ましい戦争映画かと思いきや戦闘らしい戦闘はなく、それどころか兵士が「突撃」しなかったことで裁かれて処刑されるという話であった。

登場人物の自然さ、その自然さというのも一人一人の多少クセのあるところがそのまま出ている自然さ、登場人物A,Bとかいう作られたものではなく、本当に生きている人間のように描かれるのはキューブリックの映画を見ていていつも感心するところだが、どうしてそんなことができるのだろう?

それは、ちょい役によく現れる。名もなき役というのは得てして無表情な不自然な固い演技になるものだが、そういう人々が肩の力が抜け、自然に、生き生きとしている。すみずみまで血が通っているという感じだ。

この映画について、スピルバーグがあるシーンをほめていたのを見たことがあるのだが、忘れてしまった。
でも、そんなことはどうでもいい。

これでキューブリックの作品は全部観たか・・・とwikipediaで確認してみると初期の頃の作品でまだ観ていないものがある。

一番好きな作品は、フルメタルジャケットかな。スパルタカスは高校生の頃深夜にテレビで見ておおいに感動したのだがキューブリック自信はあまりいいと思っていないようである。あとは、時計仕掛けのオレンジ。

突撃も、観たばかりだが抑制された描き方でありつつ変に斜に構えてもいないので好感を持った作品のひとつだ。処刑される3人の様子が三者三様にとてもよく描かれている。

「2001年宇宙の旅」は、衝撃を受けはしたが傑作だとは思わない。
ちょっと気負いすぎな感じ。

キューブリックはもっとなんでもない平凡な話を撮ったらよかったのに。
なんだかみんな殺人とか戦争とか常軌を逸した話ばかりだが、彼のよさは何気ないシーンにある。
アイズワイドシャットがそれに近かったのかな。

ダグラスとキューブリックはスパルタカスでも一緒に仕事をしている。
ダグラスは単なる俳優でなく製作者でもあり、キューブリックとは衝突があったようだ。
だが私はダグラスが主演のこの2作品が好きだ。
感情や正義のようなものを前面に出すかどうかが二人の意見が割れるところだったらしい。
そして、この2作品は客観的になりすぎもせず、メッセージ色が強すぎることもなく、いいバランスになったのではないか?

2011/05/07

イングロリアスバスターズ

タランティーノの映画は特に好きというわけではないがキルビル2がちょっと面白かったような記憶があった。
この作品を観て、パルプフィクションを初めて見た後に感じたのと同じようなものを感じた。
今回も英語字幕で観たのだが、せりふが速くて追いきれなかった。ドイツ語やフランス語が混ざったせいもあったかもしれない。
そのせいもあって、ストーリーというか、登場人物同士のカケヒキみたいなものがどうしてそうなるかがよくわからなかった。なぜ拳銃を突きつけあうのか、なぜそんな危険なことを簡単にやってしまうのか、理解できない。
この映画はもっとはちゃめちゃな、マンガのような話しかと思っていたのだがシリアスに描かれていた。
笑うようなところはひとつもなかった。
タランティーノの作品は、やっぱり暴力や残虐なシーンが売りであり、それだけなのかなと思う。
二つの復讐計画が重なるというのはなるほどと思ったけど、それだけである。

2011/05/01

From fairest creatures we desire increase

これはシェークスピアのソネット集の最初のソネットからとった。私が初めてソネットを読んだのは確か浪人生のときで、岩波文庫の翻訳だった。英詩なんか翻訳で読んでもしかたがないとは思ったが、わたしはかなり胸をゆさぶられたのを覚えている。ほかの外国語の詩の翻訳で感動したのはゲーテのいくつかとオネーギン(プーシキン)くらいだ。

そして大学に入学し大学のすぐそばにある古本屋で英語のソネット集を買った。最初に長い解説があるが読み飛ばして最初に出くわしたのがこのフレーズである。

From fairest creatures we desire increase,

特に難しい単語は出てこないが、私は理解に戸惑った。訳文では、「美しい被造物こそ我々は増えて欲しいと願う」というように訳されている。しかし、desire A from B などという言い方があるのだろうか?そして from が、そのような「物事の優先順序の最初」というような意味で使われるだろうか?それまで受験勉強で習った英文には出てこなかったし、その後今までもお目にかかったことがない。英文を読む機会とくに英詩などを読むことはあまりなかったが。また、ソネット全体について、子孫を残すとかいうのがなんだか生々しいというか、即物的というか、少し奇妙に感じてもいた。「早く結婚して子孫を残しなさい」という内容の詩が続けてでてくる。

昨日くらいに、新解釈を思いついた。
「美しい被造物を源として我々は増えようという衝動を抱く」
というような意味ではないだろうか。fromというのは、desireが湧き出る源のことを言っているのだ。
つまり、fairest creatures というのはこのソネットが語られている美男子を含めて、「増えて欲しい被造物」というだけの意味ではなく、その美しい被造物を源として、つまり見たり、触れたり、話したりすることにより、子孫繁栄の欲望が湧き出る、というような意味。ある被造物について客観的に見てそれが増えて欲しいと願うのではなく、みずからが増える衝動を抱くという意味・・・

それにしても、美しい青年に恋することをすすめるのは詩らしい主題だが、普通それを「子孫繁栄」には結び付けないよね?