2009/11/23

final cut

このアルバムは某所で開催したフリーマーケットで見かけた。アナログレコードであった。レコードプレイヤーも売られていて、私もスタッフの一人だったのだが、そのアルバムをプレーヤーにセットして針を落とした。いいなと思った。誰かが、「誰だよピンクフロイドかけたの」と笑いながら言った。私はなぜ笑ったのかよくわからなかったが、今ならわかる。

final cutは、3枚目のthe wallだ、などと言われているようである。
the wallも、同じ頃によく聴いていた。
あの、裏切られた感じ、冷え切った感じ、終わった感に共鳴していた。

そしてfinal cutはもっと、終わった感があって、
終わったのになんだかカラっとしていて、スガスガしささえ覚えるような、
初秋のような、暑さにこりごりしていたがようやく涼しくなってきたときの夕方のような
そんな雰囲気が大好きだった。

pink floydも、3拍子をけっこう使う。
wallの最初もそうである。

その頃は、3拍子が好きな時期でもあった。
3拍子をやるのは、ほかにはボブディランくらいしかいなかった。

final cutはそういう終わった感、シミジミ感がただようのであるが、
最後に開き直ったような爆発がある。

not now, john という曲である。
これは激しい曲と言えるが、言葉や声こそ激しいが、
やっぱり冷めた、終わった感がただよっているのである。

このアルバムでボーカルは絶叫するかぼそぼそしゃべるように歌うかである。
どっちかだけならウンザリであるが、両方あるのでいいのである。


2009/11/21

塩野七生 「ルネサンスとは何であったのか」

古本屋の店頭で売っていた100円の文庫。
塩野氏は名前は聞くが作品を読んだことがない。

思想は保守的でいまどき珍しい古風な人かなと思っていた。

だから、ルネサンスなんかクソだ、ということが書いてあるのかと期待したら、絶賛していた。

ところが、ルネサンスこそが彼女のテーマであり、ローマを書いたのもルネサンスがきっかけだというのである。

そして、さわりだけ読んでこの、何だろう、何をそんなにとがっているのかというくらいの傲慢さというか高飛車というか

低級な文明で暮らす地球人を教化しに来た宇宙人か、というようなノリに耐え切れなくなった。

もう、彼女の作品を読むことはないだろう。