2008/09/21

シュガー


この3人組は好きで、特にウェディングベルは名曲だと思う。youtubeを見ていたら偶然この曲を見つけた。当時も話題になったが、「くたばちまえアーメン」というのは、ちょっとドキっとする、あまりいい気持ちのする歌詞ではない。そして、「くたばっちまえ」と歌っていた女性は、若くして亡くなってしまった。まったく偶然とも思えない・・・。

アキレスと亀

予告編を観た時、イヤな予感がした。
まず、冒頭で挿入されたアキレスと亀について説明するアニメにしらけた。いらないよ、あんなの。
絵がキレイすぎる。TVドラマのようだ。始まってもなかなか映画に入り込めなかった。
主人公を武が演じるようになって、ようやく乗ってきた。やっぱり、武はいい役者なんだろう。
路線的には、最近の2作を踏襲した、ナンセンスコメディである。3部作の最後、マジメな作品を装っていたが。
芸術のために生活も家族も何もかも捨ててしまうところ、最後火をつけて絵を描くところは地獄変を思い出した。
ただ、なんで小屋に火をつけてひまわりを描くのかはよくわからないが。
あのまま死んでしまったらクソ映画になっていたところだ。
結末は予想していなかった展開で、泣きそうになった。
やっぱり、最後にはもっていかれた。

2008/09/19

二冊の必読書

「カラマーゾフの兄弟」の新訳が大変売れているというニュースについて、ある場所で「必読の不朽の世界的古典は何か」みたいな話がされていた。ドストエフスキーの「カラマーゾフ」と「罪と罰」を、そういう作品のひとつとしてあげる人は多い。わたしもそういう触れ込みを聞いて、読まねばなるまいと思って、正直しんどかったが読み通したのである。しかし、ドストエフスキーの作品は決して小難しかったり説教くさかったりすることはなく、どちらかというとユーモラスで、毒舌というか破天荒というか、決してお行儀のよい小説ではないので、ボリュームのわりには楽しく読めると思う。

しかし、私は彼の小説に、面白さ以外の、人間とか神とか罪とか信仰とかに対する、特に深い洞察があるとは感じられなかった。私は基本的に不可知論者で、お人よしで、世間知らずで、常識人である。アタマもよくないし、金儲けもヘタな、つまらない凡人である。正直と謙虚さと素直さが大切だと思っている。熱心な信仰も持たないが、神なんかいないさと真剣に考えたり、信仰を持つ人を侮蔑したりもしない。むしろ、そういうものに大しては興味があるというか、親しみを覚える。そういう人間には、ドストエフスキーの作品はあまり感動できないと思う。そして、それでいいと思う。ドストエフスキーの作品に夢中になって、主人公に感情移入してしまうような人はちょっと危険で、多分嫌われ者だと思う。

さて、私が必読だとする世界的古典は、2冊ある。他人にすすめるのだから、当然自分が読んで感動したものでなければならない。そんな書物は数えるほどしかない。1冊目は、プラトンの「国家」である。もう1冊は、カントの「純粋理性批判」である。そして、この2冊の内容は非常に似ているとも思っている。両者ともに、人間理性と認識の限界を主張しているのである。だから、結局誰も真理なんかに到達できない、という主張である。そして、正義とか善というものを肯定しているのも、珍しい書物である。小難しいことを言う人は、たいてい誰もが漠然と認めているぜそれらの価値観の根底を揺るがすようなことを言うものであるが、プラトン(ソクラテス)やカントは違う。そして、その正義や善を肯定しようとすると、それらの正当性がとても人間に定義や証明をすることができないものであるということに気づくのである。それを説いた書物なのである。人間は、そのことだけは忘れてはならないと思う。家庭においても、仕事においても、芸術、科学、スポーツなんでも、その姿勢がないと、何もできないと思う。

ただ、そういう境地に達するのは、「国家」や「純粋理性批判」を読むことによって成し遂げられるのではない。この2冊の書物はあくまでも確認である。その境地に至らしめることのできるおそらく唯一の書物は、聖書である。私も、先に聖書を読んでから、「国家」や「純粋理性批判」を読んだのである。聖書から受ける漠然とした、しかし確実な何かを、これらの書物によってよりよく認識させられたのである。一見荒唐無稽で非科学的、非論理的に思える聖書の記述が、屁理屈よりは全然説得力があるということを、思い知ったのである。

2008/09/18

瓜田純士 「ドブネズミのバラード」

今年の3月だったろうか。新宿である男が金属バットを持った集団に殴り殺された。私はそのニュースをインターネットで知ったのだが、なじみのある新宿でそんな事件が起こったことに驚いて、被害者の安否が気になっていた。数日後被害者は亡くなったのだが、彼はある世界の有名人であり、その交遊は芸能界にまで広まっているとして、現在テレビなどで大活躍の芸能人の名前がインターネットで話題になっていた。そのような情報を読んでいるうちに知ったのが、この本の作者、瓜田純士であった。

彼はブログを書いていて、私が知ったときにはすでに毎日20万ものアクセスがあるとのことだった。なんでも東京を制覇しただのブラックエンペラーの総長の息子だの小指がないだの全身イレズミだらけだの、クスリと拳銃所持で捕まって出てきたばかりだの、とんでもない男だというので、私は彼のブログや2ちゃんねるのスレッドなどを読みあさった。

その後、私は彼が出場したアウトサイダー第一回大会の動画を購入した。J-Waveに出演した番組は録音した。アウトサイダー第二回はディファ有明へ見に行った。短編映画のブルーベリーも購入して観た。ブログはもちろん、一日10回くらい更新を確認しながら読んでいる。「バラード」のことは、発売されるずっと前から知っていて、当然買うつもりだった。だが、なぜか発売後しばらくは買う気にならなかった。そして、今日、仕事の帰りに家の近所の本屋においてあって、買った。

彼の経験した内容の、おそらく、半分も書けていないのではないだろうか。しかし、この本と、ブログと、ブルーベリーと、噂話を総合すると、2年だか3年で刑務所を出られてよかったな、というような人生だったと思う。ただ、刑務所内のコンクールで優勝したという短編はとてもよかった。これは事実ではなく、だいぶ脚色した話のようだが、その方がよかった。自分の血なまぐさい経験を売り物にするより、こういう「作り話」の方が、面白いと思う。

実は私は、安藤昇、花形敬、ゴッドファーザー、ジアンカーナなど、ヤクザとかアウトローものが大好きである。でも、今まで見てきたのは全部、自分より年上の、昔の話である。ところが瓜田氏は、私より一回りも下のアンちゃんだ。そんな彼が拳銃だのコカインだの刑務所だのヤクザだのという世界に生きて、もうたくさんだと言っている。ブログではいまどきのアンちゃんのような軽快なギャグをとばして微笑ませてくれる。そこが複雑なところである。

2008/09/16

高岡英夫、松井浩 「インコースを打て」

高岡英夫と松井某の共著。週刊文春で紹介され、ほめられていた。高岡は今どうしてるんだろうという思いもあり、買ってみた。
が、期待はずれだった。
高岡氏の思想を松井氏がなんとかしてものにしようとあがきながら、結局できなかった。高岡氏がこう言っている、という紹介の域を出ていない。
松井氏の文章自体が、「ゆる」んでいない。シュート使いの投手や内角打ちの名人といわれた選手たちの話を紹介しているのも新聞記者のような事実の羅列で退屈だ。
高岡氏の著作を読んだときのニヤニヤしつつ胸躍り、自分のからだがゆるんでいく、そんな気持ちにはなれなかった。

2008/09/07

80's

TSUTAYAで80'sモノのCDコーナーがあったので試聴してみた。cindy ローパー、nena、a-ha、フットルース、カルチャークラブ・・・思わず足ぶみしてあごがしゃくれていた。

CDは何種類かあったが、マイケルジャクソンのbeat itとbilly jeanを選曲していたものを買った。

家について寝る間際に聴いてみた。が、じっくり聴いてみるとどの曲もアラが見える。けっこう雑なつくりだ。イントロだけでもういいやとスキップする曲の連続。最後まで聴いた曲はひとつもなかったのではないだろうか。

まあいいかなと思ったのは、バングルスのmanic monday,フィルコリンズと誰かのeasy lover, men at work, time after time くらいかな。

easy loverは当時は何がよいのかさっぱりわからなかった。フィルコリンズのなんかエフェクトがかかったような声も嫌いだった。でも今聴いてみるとフィルコリンズはいいミュージシャンだったんだな、とわかる。

80年代といえばspringsteenとmadonna抜きに語れないだろう!
なんで入ってないんだ!!

Princeも。

inxsとかも。pretendersも。a-haも。
なんかヒネクレた選曲だな。

Almost Paradiseは、死ぬほど聴かされてもう頭の中にコピーされてしまっているくらいだけど、女がAnn Wilsonだということは知らなかった。今聴いてみても、ちょっと遠慮がちに歌っているように聞こえる。そういうところが、好き。


(今アマゾンで探して見つけたが、もう売ってなくて中古でしか入手できないようだ)