2006/11/23

三島由紀夫 「音楽」

三島の切腹については見事に腹をかっさばいた一方介錯担当でその後自分も腹を切った男は解釈にびびって何度も失敗して別の男に代わってもらい、自分は腹を切ることすらできず、いきなり刀で首を落とされた、という話を聞いていた。主に猪瀬直樹の情報による。

しかし新説を知った。
あまり腹を切り過ぎると体が痙攣したりのけぞったりして介錯しにくいので、介錯人がいる場合は形だけ腹を切るのが作法というのである。そういう意味では後を追った男の方が作法にかなっていた事になる。
切腹でも介錯人なしで自分だけで死ぬ場合はざっくりいくらしい。
乃木将軍の場合がそれで、腹を十字に切った上に足の間に立てた刀で喉をつくという凄惨なものだったらしい・・・・

報告が遅れましたが「音楽」読了しました。まあおもしろかったけど俗悪な小説ですな。次はカフカの「城」でも読んでみようかな。

2006/11/11

谷崎潤一郎 「卍」

「卍」読了。きつかった。次は「音楽」にする。三島はいい。
谷崎の後に読んでみて、三島の人物描写のベタさというか不自然さ、作り物っぽいところが感じられるが、実はそれが三島のよさであることを知った。谷崎の描写は自然でうまいのかもしれないが、そういう書き方が生むものは混沌とした退屈な世界でしかない。


2006/09/24

松尾芭蕉 「おくのほそ道」

「おくのほそ道」を挟む。

最近気づいた、「あるあるネタ」っていうのは、
文学の基本要素の一つであると。
とすると「ボケ」ってなんだろう?

芭蕉の旅はそんなにお気楽なものではなかったのかもしれない。
紀行文はとても短く、突然終わった。
北へ向かっているのかと思っていたらいつのまにか岐阜に来てて、
アレと思ったら終わり。

2006/06/18

ツルゲーネフ 「ルーヂン」

次は「ルージン」。
前に一回読みかけて中断していた。
ツルゲーネフは実はフェイバリットの一人である。
「父と子」、「初恋」。
「ルージン」は、「父と子」に出ていたニヒリスト(名前なんだったっけ)のような悪役ではなく、善良で頭の切れる男のようだ。

でもきっと、こういう主人公は小説には向かないんだと思う。
小説の主人公は激情家で酒飲みで多淫で不真面目な奴でないといけないのだろう。
アリョーシャみたいなのは、主人公にはなれない。

ルージンもドストエフスキーでよくやるサロンでの議論がでてくるんだけど、ドストエフスキーの時はこいつ誰だっけ、何でここにいるんだっけ、ってなるんだけど、ツルゲーネフではそんなことはない。

「ルーヂン」、とあえて書き直そう、読了。
このとき、ツルゲーネフが私の中の作家殿堂入りした。
ルーヂンは作家の、芸術家の、象徴であり、戒めである。
結局、作家は罪深い人種である、美辞麗句を弄して、リソウばかり述べて、女一人口説けない情けない奴は結局犬死の運命だ、と。
でも、そんなはずはない、という一言が、きっと真理なのだ。
ルーヂンとはまさに今の俺、でも、俺は犬死しないよ。

なんで猟人日記が絶版なんだろう


2006/06/09

ゲーテ 「若きウェルテルの悩み」

「若きウェルテルの悩み」を読んでいます。
これは、いいです。
熱血漢です。情熱家です。
高校生の時、読んで、よくわからなかったけど、
なんとなく感動した記憶がある。

読み終えました。
最後、朗読がでてくるところ、覚えてなかった。
日記形式が途中でちょっと変わるところも。
自殺を安易に非難することに対して激昂するところとか。
ピストルで自殺したんだっけ・・・とか。
ほんとに読んでたのか、って感じ。
高校から20代くらいに読んだものは、
かなり怪しいな・・・ドストエフスキーとかも・・・