2004/11/20

ルソー 「エミール」


で、次は、「エミール」にとりかかった。これもしばらく前に買って読まずにいたものであり、必読図書ランクのかなり上位にあるものなのでのっている今ならいけるかと読んでみることにした。
最近、「クリスマスカロル」、「老人と海」、「審判」、「文明論の概略」、などを片付けた。
どれも、読んでみるとたいしたことがない。だが相変わらず読書は億劫なものだ。間違いなく字は追っているのに、まったく関係ないことを考えてしまう。だが、一時期よりはましになって、ないように集中できるようになってきた。

それから、いまさらながら、純文学・哲学にかたよりすぎであることに気づいた。いわゆるビジネス書みたいなものは皆無である。

「エミール」はおもしろい。前回読んだ時はそうでもなかったが、今はおもしろく読める。なんせあのカントの日課を崩したと言われるくらいのものだから。
それにしてもJJルソーよ、お前はなんでそうペシミスティックなんだ?
いったい何がお前をそうさせるんだ?

純粋理性批判 1781年
エミール、社会契約論 1762年

カント 1724-1804
ルソー 1712-1778

エミールも苦痛になってきた。
しかし今は読書時間と気力があるので、なんとか読み通してしまおうと、飛ばし読みをしている。
やっと上巻が終わった。

サヴォワの助任司祭の信仰告白・・・・
って有名なの?まぁ、確かに気合入れて読みましたよ。
実在のモデルもいるらしいね。
でも、俺はこんなものにはだまされない。
カラマーゾフの大審問官にもだまされない。

上巻・・・教育について。悟性、感覚、理性について。
中間・・・神について。あるべき信仰の姿。宗教。
下巻・・・女。官能。結婚。女性の教育。結婚・・・。

「エミール」が終わった。
ソフィーが出てきてからのラブコメは勘弁してほしかったが、
気がつくと俺は社会契約論を読んでいるのかと思うほど話題が一変した後、この病める男の問題作は終わる。
まぁ、よい経験にはなった。

2004/11/05

デュマ・フィス 「椿姫」、アベ・プレヴォ 「マノンレスコー」

今、「椿姫」、その次は「マノン・レスコー」。
その次は「絶対の探求」を予定している。

以前、オペラの「椿姫」を観たんだ。
でも、全然違うよ、なんか。
小説の方が生々しく、最初から病気だし。

「椿姫」を読み終えた。またひとつ化け物を打ち倒した感じだ。
作者24歳の時の作品。なんどもでてくる「マノン・レスコー」。安吾もほめていた。読もう読もうとして20年近くたった。ようやく、読む体勢に入った。
えーと、「椿姫」はやっぱりオペラと全然違う。親父にカネをたたきつけるところなんかなかったし。まったく、違うものだと感じた。

「マノン・レスコー」、ちょっと手ごわい。
青柳瑞穂という、よく見かける訳者。男みたいだな。
古めかしい文体。まぁ、18世紀の作品だからな・・・。
それと、作者が「椿姫」とちがって年取っている。

こんな本を読んだせいか、悪癖がぶり返した。酒もちょっと飲んでしまった。「マノン」は読み終えた。たいした作品だとは思わない。「椿姫」の方がよかったようにも思う。しかし翻訳モノは読むのがつかれるな。

2004/10/24

カミュ 「転落」、カフカ 「審判」

その後、カミュの転落を読んだ。この本は実は「白鯨」を読んでいる途中で、上野の古本屋の店頭に100円で売っていたのを買ったものだ。「鯨」の読みにくい訳と違って、「転落」はなめらかに頭に入ってきた。ふざけているような皮肉るような偽善的なようで毒舌的な語りがおもしろくて買ったが、とりあえず「鯨」が終わるまでと保留していたものだ。「鯨」と違って、短いせいもあるが、おもしろく読んだ。

次のターゲットはカフカだ。最近カフカという名をよく聞く。おそらく海辺のカフカのせいだろう。「審判」の岩波文庫を、これも18,9の頃に買って読んでみたがどうしても読めなかった。「変身」が有名だが、自分が芋虫になっていたなどという星新一みたいなファンタジーなど幼稚に感じてあえて「審判」を選んだ。しかし、味のないパサパサのパンかクラッカーでも食べているように退屈で抽象的でどうしても読めなかった。

しかし今は、わたしはなんとしても「審判」だけは読み通してやる、おもしろかろうがなかろうが、とにかく、あら捜しでもいいから読んでやる、という、そんな決意で読んでいる。


「審判」読み終わったよ。ほんっとにつまんなかった。こんなつまらないものよく書いたなと感心したよ。まあ、本人はこれは発表しないでくれと遺言したそうだから許してやるが。つまらない本だということが確認できた以外になんのメリットもなかった。


2004/08/14

ハーマン・メルヴィル 「白鯨」

Moby Dick、または白いクジラ。

浪人してた春頃電車の中で読んだ岩波文庫を引っぱりだしてきた。阿部知二訳。意気込んでよんだけれど感動しなかったのを覚えている。スターバックスってここからとったのかなぁなんて事を思い出すくらい。エイハブってアハブのことだったんだね。
翻訳小説ってどうして、おかしな訛りがでてくんのかね。
田吾作、三太夫、駄目でしょ、こんな言葉使っちゃ。

なぜ、今、MobyDickなのか。
  1. Dylanが、グラミーをとった頃のインタビューで、読めとすすめていた。
  2. 聖書の暗号がインチキだということを、MobyDickで同様のことをして証明したという記事を文春で読んだ。
  3. なぜか、JB線の白い普通列車のことを、MobyDickと呼ぶようになった。・・・この電車は古いのと、長距離列車なのと、座席の構造などから混んでいて不快なため忌み嫌っていた。
など

初めて、そして一度だけ読んだのは、浪人していた頃。岩波文庫を3冊買って、千代田線の中で読んでいた。あまり面白くはなかったが、その頃でくわしていたキリスト教にからむこともあって、なんとか読み通した。

あれからもう、年齢が倍になるくらいの時間が経っているが、自分がまったくといっていいほど成長していないことを痛感した。<br />
ただし、エイハブとはアハブであり、イシュメイルはイシマエル、イライジィアはエリヤであることなどは、当時でもわかってよかったはずだがわかっていなかったことに気づいた。

まさに鯨を追ってしとめるような苦労だった。

(今の岩波文庫は阿部知二訳ではありません)


アイズワイドシャット

座頭市
シティオブゴッド
キルビル
アレックス
アイズワイドシャット

アレックス以外は全部よかった。アレックスもモニカはよかった。
モニカがよかったといってもその体がよかったという低級なよかっただけど。
よかったといっても退屈はしなかった、くらいの意味だね。
なかでもやはりすごいなと感心したのはキューブリックだ。
キューブリックの映画のよさというか不思議な魅力は、
何気ないやりとりが、自然というと凡庸だが、あたかも本当に起きていることのように見えるところ。もちろん映画なので、ウソで、作り物なんだけれど、これは、誰もが思う、他人の体験をのぞいてみたいという、少しスケベな好奇心を満たしてくれるものだ。
アイズワイドシャットはしかし、普通の映画なら訪れるであろうサービス的なシーンをことごとくはぐらかされる。そのはぐらかしも、大事な部位を隠すとか飛ばすとかいった打算的なものではない。
この映画はある夫婦の複雑な感情を描いたドラマなどではない。
どちらかといえば恐怖映画だ。しかしキッドマンとクルーズというキューブリックとは縁の無さそうな若い、ポップな俳優を選んだところに、キュウブリックのいたずら心を感じる。

具体的にあげると、
喫茶店に入ってコーヒーを頼む。ほかには?と聞かれていい、と答える。女が伝票を書いて置く。ビルがニックの居場所を尋ねる。自分は医者だということで安心させ、さらに診察結果を知らせたいのだといって連絡先を聞く。

そして聞いたホテルへ行って、フロントの男に話を聞く。
病院へ行って、死んだ女のことを聞く。死体安置室へ行って死体を見る。それを案内する男のなにげない仕草・・・。

屋敷に後日訪ねた後、わざわざ伝言をよこすために車で来る男。
運転手が後ろを振り返ってバックさせる・・・。

2004/01/18

福沢諭吉 「文明論之概略」、「福翁自伝」

まだ半分くらいであるが、すこし感想を述べてみたい。
まずとても威勢がよくて読んでいて痛快である。論旨も明快で、志も高い。今、智徳の弁のところを読んだのだが、ここはあんまり楽しくなかった。知恵と徳義を区別することが大事で、日本には圧倒的に知恵が足りない、だから西洋の知恵を吸収しよう、徳は日本にも神仏儒の教えがあって西洋に負けないものがある、というのは、どうなんだろうか?

ひとりひとりは賢いのに集団になるとダメ、という、丸山の言っていたことが書いてあった。丸山がここからとったのかな。

ここまで読んだ限りでは、とにかく科学技術を西洋から取り入れて、日本も西洋に追いつかなきゃならん、という焦りのようなものが見える。徳はさておき、とにかく智だ、実だ、というわけである。そのまま突っ走って行き着く先は自殺的特攻、敗戦、事実上の植民地化である。

マルクス、キェルケゴールとほぼ同世代だね、福沢。幼稚な感は否めない。キェルケゴールなんかデンマーク人だから、名前も知らなかっただろうな。マルクスの名前は聞いたのかな、福沢は?


引き続き、福翁自伝を読んだ。
だいたい福沢氏がどんな考えかわかった。
また、攘夷と開国で割れていたかのように教科書などには書いてあるが、実際は攘夷一色であったらしい。
福沢はニヒリストだ。芝居もろくに見ない。無神無仏と自分で言っている。獣身を先に後から人心をと、典型的な唯物論者だ。


2004/01/12

天国と地獄

時代劇専門チャンネルで観た。
まず、長い。2時間を超えるなと。
黒澤映画は、あまり好きではない。
羅生門、酔いどれ天使、生きる、蜘蛛の巣城、椿三十郎、用心棒、どん底、観たけど、なるほど程度には思ったけど、基本的に黒澤には共感できないのである。スピルバーグ的、モーツァルト的、エリッククラプトン的なものを感じる、と言えば分かる人にはわかるだろう。

トランスポーター



これもWOWOWでやっていたのだが、予告を見て面白そうだったので録画して観た。監督ではないが、リュックベッソンが脚本と製作だか何かを担当している。「TAXI」もテレビを見て感動して2は劇場まで観にいったのだが、ベッソンはどうしてこんなにカーアクションをかっこよく撮れるのだろうか。とにかくその事に感心させられた作品であった。それと、主役の男がかっこよかった。特に、前半のクールな運び屋はよかったが、だんだんブルース・ウィリスみたいになっていってしまう。生まれは俺より4年遅い。俺もいい年だなー。

ランボー

WOWOWでやっていたので録画して観た。
実は初めて。3はテープを持っている。ロッキーは何度も観たのだが、ランボーはあまり興味がわかなくて観ていなかった。
インターネットでいろんなレビューを見ると評価は高いが・・・やはり私はランボーにはあまり共感できない。原作ではランボーは死ぬらしいのだが、死んだらまた違ったかも知れないけど。
スタローンは一体何があってランボー、ロッキー4という愛国路線を歩んで行ったのだろう。当時中学・高校・大学という年頃の私は、「スタローンって気が狂ったんじゃねえ?」なんて、冷ややかに見ていた。その後私も何を思ったか愛国路線を歩んでいく事になる。しかしそんな私でさえ、ランボーには辟易させられるのである。